ようこそ ギャラリー誠文堂へ
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館長 中澤知津子
1966年03月 東京都立五日市高等学校卒業
1966年04月 埼玉銀行(現りそな銀行)入行
1969年10月同行退職
1972年05月絵画鑑賞が好きな中澤 洋と結婚
1982年01月本・文具・たばこ店開業
2005年11月本屋を閉鎖しギャラリー誠文堂オープン
アドバイザー 中澤 洋
1975年11月〜 | 個人でコレクションした作品を公開する私設の美術館から出発しています。最初のコレクションは具象絵画でしたが「菅井 汲」の絵にめぐり合ってからは現代美術に対する興味が強くなりました。草間彌生、ジョアン・ミロ、斉藤清等の作品はこの後に収集されたものです。 |
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1991年10月~ | コレクションを公開するに至った経緯は、同じく個人コレクションを公開されていた「すどう美術館」の須藤一郎館長に共鳴からです。須藤様は現代美術の良さを少しでも多くの人に知ってもらいたいという信念のもとに自宅を開放して私設の美術館を作っておられました。その記事が美術雑誌「日経アート」に掲載され、初めて訪問しました。私が現代絵画をコレクションしていることをお知りになると盛んに公開を勧められました。 |
2005年11月 | 勤めていた銀行を定年退職すると同時に美術館を作ることを決意し、その準備に取り掛かりました。家内が経営していた書店を改装して小さな美術館を作り、2005年11月にオープンしました。 1年位は自分のコレクションの公開をしましたが、2006年10月に須藤様にご紹介いただいた書道家の石田象童先生の個展を行い、それからは画廊らしい企画を随時行っています。 |
2015年3月 | 建物の老巧化に伴い2014年8月に旧建物を取り壊し、2015年3月にリニューアルオープンいたしました。8ヶ月間は今までお世話になっていました作家さんに恩返しをする意味で、新築記念イベントを開催しました。連日画家さんやお客様にお越し頂き、目まぐるしくも楽しく充実した8ヶ月でした。 |
ギャラリー誠文堂は現代アートのご紹介や、現役のアーテイストなどの活動の場として少しでもお役に立てましたらと思っております。
いつの時代にも世の中の先端を切り開いて行こうとすると中々受け入れられないのが現実です。
特に日本の場合は外国で名が売れると評価されますが、国内で独自の芸術分野を試みようとすると、往々にして異質の見方をされてしまいがちです。
常にアーティストの側に立ち、応援していけるようなギャラリーであることが信条です。
私のコレクションは具象絵画から出発しましたが、「菅井 汲」という画家の絵にめぐり合ってからは現代美術に対する興味が強くなりました。
草間彌生、ジョアン・ミロ、斉藤 清等の作品はこの後に収集されたものです。
菅井汲のこと
1919年神戸市生まれ、大阪美術学校中退後中村貞以に学ぶ。日本の画壇に認められず1952年渡仏。1959年川本光子と結婚、1960年代に版画部門においてベネチアビエンナーレ他多くの国際版画展で受賞を重ねる。
「 菅井 汲」との出会い
私は絵を見るのが好きで、雑誌や新聞等で情報を集めては会場へ出掛け、情報の確認作業を行うのを日課にしていたのですが、ある時、古びたビルの2階に画廊回りで疲れた足を引きずりながら登ってゆくと、高齢な女性が部屋の隅に座って店番をしていました。薄暗い照明の部屋に入ると一言「いらっしゃいませ」と言いましたが、あとは何も言わずに新聞を読んでいるような様子でした。
壁面に飾ってある絵を1枚1枚見ていくうちに、楕円形の硯の様な墨一色の絵柄に白い何本かの斜線が引かれている絵が目に留まりました。絵が私を引き留めるというかしばらくその絵に向き合っていくうち、今までにない新鮮なイメージがわいてきました。それまでの絵画鑑賞を振りかえりますと作家の知名度や、過去の展覧会での受賞歴、価格の推移を調べたり尋ねたりして確認作業をしていたのですが、そんなことを抜きにしてその絵に向きあいました。
店番をしていた女性に作家の名前を聞いてみました。聞いたことのない名前で迷いがありましたが、その絵を買いたい旨を申し出ました。初めてのお客でけげんな顔をしていましたが、作家の略歴等親切に教えてくれ心地よい気持ちで帰ってきました。それ以来私は経歴よりも作品の独自性、作品から湧いてくるイメージ、訴える力を大切にして絵画鑑賞をしています。
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